連載全3回のうち第3回目
作成:讃匠 麺研究センター
また麺学校の経営講義中の質問の間に、ある生徒さんから私がこの年齢で元気に頑張っていることに驚き、 私に対して次の様な質問がありました。それは、”普通は60歳を過ぎ、70歳も過ぎれば、仕事もしないでのんびりと悠々自適で過ごす人が多いのに、 何故、私はこの歳になっても、実際に生徒さんを指導して頑張っているのですか”という質問でした。そこで私が回答したのは、もし、この仕事が本当に好きでなければ、 こんなに長く続けることは出来なかったと思います。現に、76歳になった現在でも日曜日も休まずに会社に来て、日々楽しんでいるのです。私は機械の開発とか、麺作りとか興味の範囲が非常に広いので、何事についても興味を持ち、 飽きることがないのです。最近、定年退職して、仕事を離れると老人病を患う人が多いことも理解しています。一生を通じて、捧げられる仕事を持つことはこれからの時代は、非常に重要なことではと信じています。
私は製麺機ビジネスを始めて満49周年が過ぎ、50周年を迎えようとしています。 その間、失敗しながら、実に多くの学びを得ることが出来たのです。 本日の東京ラーメン学校の生徒さんたちも私より年齢は、非常に若い人たちばかりで、 その人たちに対して、人生の先輩として、私の失敗の歴史から得られたたくさんのことを 共有することも価値があるのではと思っています。 そして、長い製麺機ビジネスを通して得られた貴重なことは、 全てのものは意図を持って作られているということです。 最近、バンコクの拠点のスタッフたちとオンラインで面談した結果、彼らが言うのは、 当社の製麺機は他社の製麺機と比べて、価格が高いから売れないという返事でした。 日本国内でも、過去、当社が最後発としてこの業界に参入したころは、 価格が他社の製麺機より2倍もしたので、最初、売れるまでに時間がかかりました。 しかし、当社の機械を使ったお客さまが成功し、繁盛店が多く生まれたり、機械が安全だった結果、 次第に当社の製麺機が売れ始め、そのうちにいつしか業界でシエアトップになったのです。 私は、このビジネスを通して得られたのは、本質、即ち、一番大切なことを抑えることの大切さです。 製麺機の場合は、麺の美味しさと安全性だったのです。
年の瀬の12月21日の午後に社内のドリームルームで、大好きな美空ひばりの歌や演歌を聞きながら、この文章を書いています。 本日の経営講義で、ある生徒さんから出て来たもう1つの課題は、若い頃から頑張り、 現在3店のお店を経営しているが、以前は仕事が面白かったのに、最近は面白くなくなり、 奥さんとの関係性も良くないとの相談でした。 その生徒さんにお話ししたのは、日々、楽しく生きて、自分の心を大切にする生き方です。 お金儲けが人生の目的であるか、あるいはビジネス目的であれば、 多分、そんなに楽しい人生は得られないのではと思います。 われわれが日々、最も楽しく生き生きと生きることが出来るのは、誰かに貢献しているときです。 ビジネスを通して、お客さまを最高にハッピーにし、ビジネスを通して社員を幸せにすることは、 楽しい人生を送る上で欠かせないと思います。 そして、競争のないビジネスで皆がハッピーになれるビジネスを目指すことが出来れば、 こんなに幸せなことはありません。 まだまだ先が長いですが、年齢などは一切関係なく、来る年も来る年も挑戦を続けたいと思っています。 皆さん、来年もよろしくお願いします。
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