連載全4回のうち第2回目
作成:讃匠 麺研究センター
河原会長は、当社や大和のスタッフにアドバイスをもらいながら、製麺技術を磨いていかれました。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
当時、自家製麺に取り組む一風堂を、周りのラーメン店仲間は「馬鹿にしていた」のです。
既存の常識に挑戦する姿勢は、しばしば理解されないものです。それでも河原会長は信念を貫きました。
日本国内・海外を問わず、グローバル化は麺業界の未来を決定づける最重要テーマなのです。
その結果がどうだったでしょうか。「その後、多くのラーメン店が大和の製麺機を導入して自家製麺にチャレンジし、自家薬籠中のものしていったのは周知の事実です」と河原会長自らが証言されています。
河原会長は、私を「ラーメンのいわば『革命』を影で支えた立役者」と評価してくださいます。
そして、「自家製麺は新しいラーメン職人の姿を生み出しました。
オリジナリティを重視し、次々と斬新な味を生み出していく——そんなラーメン職人のイメージは、実は藤井さんが生み出したと言っても過言ではありません」とも言ってくださいました。
確かに、当社の「ラーメン学校」には、ラーメン職人を目指す人々だけでなく、すでに有名店・人気店になった店主たちもこぞって学びにいらっしゃいました。
新しいラーメン職人像を創造することで、業界全体のレベルアップに貢献できたのです。
私が河原会長に「ラーメンスープ作りの基本的な考え方を教えて欲しい」とお願いし、香川の本社に泊まり込んで学ばせていただいたのも、今では懐かしい思い出です。
その後、私はラーメン作りの研究を重ね、言語化し、マニュアル化し、「ラーメン学校」を開設しました。
これは単なる技術習得ではありませんでした。河原会長から学んだスープ作りの基本的な考え方—その「根っ子」となる部分を理解し、それを麺作りの技術と融合させ、継続的に進化させ続ける姿勢を身につけることでした。
河原会長は、まさに製麺技術とスープ技術の両方の本質を理解された、真の意味でのラーメンの革命者だったのです。
15年ほど前、私がニューヨークの博多一風堂店舗を訪ねた時のことです。その製麺工場で製麺の様子を見て、心の底から驚きました。
徹底された温度管理が行われていたのです。練水の温度、小麦粉の温度、そしてミキシング時の温度など、あらゆる製麺要素が細かく数値で管理されていました。
国内での品質管理であれば、まだ理解できます。しかし、NYという海外の地で、言語や文化の壁がある中で技術を伝達し、多人種のスタッフを使いながら、これほど精密な品質管理を実現していることに、本当に驚きました。
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